こんな計画がこの時代にあったとは・・・
 

    陳情書
 
昭和27年11月

潮流発電計画促進に関する陳情書
   潮流発電事業期成同盟会
   愛媛県西宇和郡町村会
   愛媛県町村会
   愛媛県西宇和地方事務所

 潮流発電事業計画促進に関する陳情

 電力資源の重要性につきましては今改めて申し上げるまでもないと存じますがわれわれにはここに潮流による電力資源の開発を目論見持って既施設による電力供給に拍車しわが国産業の発展と国民生活の安定に視線ことを記する次第であります。
まさに潮流による発電方式こそはわが国水資源開発の現状と電力事情に照らし、また有事、かつ国家百年の計として真に「世紀の課題」であり、眇(みょう?)たる四つの島環海日本 再建施策の最終的かつ緊急の事件であると確く信ずるものであります。
 そもそも、わが愛媛県西宇和郡三机村三机地区の運河の開さくは遠く慶長の昔より計画せられ海上交通上その必要性はわれわれの父祖により永く叫ばれながらも科学なき国としてこれが打開は望むでくもあらず今日に至ったのであります。
 しかるところ昭和23年以来ゆかりの現地において2ヵ年の永きにわたり、この潮流発電の可能性について調査を遂げられた老技師、尾崎肇氏の貴重な研究論文に対し今や、中央関係筋におかれましては水理ないし海洋学的立場よりその態性を認められこの地域における潮流による発電は「いけるだろう」と断ぜられ科学のある国としてわが国科学の権威を表明せられたのであります。
 すなわち、われわれはわが国科学を経とし同氏の研究素材を緯として推進するところ本件電源の開発もまた運河の開通もさして難事にあらずその実現は近きにありと確く信ずるものであります。
 願わくば別添の計画書概要説明書(研究論文)に着き慎重ご検討賜り速やかに現地のご視察を願うとともに中央計画においては現地計画の推進について何分のご指導賜りもって世紀の課題の解決―天与の資源の活用を期せしまられますよう、
 ここに謹んで、陳情申し上げる次第であります。
       昭和27年11月20日
                 愛媛県西宇和郡三机村
                   潮流発電事業期成同盟会代表
                     三机村村長 橋本 禮之助
                 愛媛県西宇和郡町村会長
                     川之石町長 兵頭 傳兵衛
                 愛媛県町村会         
                     会    長 兵頭 傳兵衛
                 愛媛県西宇和地方事務所
                     所    長 坂本 若松
三崎半島地図
    
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    潮流発電で飛躍する日本
 愛媛県の西北部に突き出ている佐田岬の中央部の三机という地峡に水路をひらいて、伊予灘と宇和海とをつなぎ、両者の潮位差を利用して発電しようという構想、経費はおよそ180億円、河川を利用する水力発電よりずっと安くできる。しかも副産物として水田200町歩が干拓によって得られるほか、各種の工業が興るから、これが実現すれば四国の文化は面目を一新するであろうという。

   水力発電は無尽蔵でない
 日本は無尽蔵の水力資源に恵まれているといわれている。実際すべての河水を最大限に利用すれば、なお2千万キロワット以上の電力が得られる。これは現在開発されている約6百万キロワットのまさに三倍半に達する。ところが、その実相はどうかというと、もっとも有数な水力未開発地域にあたる東北地方の8割を占める只見川が、全部開発されても年間44億8千2百万キロワット時であるに比べ東北地方の年々の需要増加見込みは年間30億キロワット時に達する。したがって、わが国の水力資源は予想以上に微弱なのであって、現在の計画に従って十二分に利用したとしても、この先15年か20年もするともはや、開発する水力資源はなくなってしまうことになる。また水力発電の最大の欠点は雪と降雨とが沢山なければならず昨年のように雪と雨とが少ない時には忽ち電力飢饉に襲われてしまう。松永安左衛門氏も雪解水や季節的降雨を全部貯蓄し、余すところなく利用するため、なるべく高いところに大堰堤を設けねばいけないと、いわれている。さらにこうした河水による発電にはいつも、 
 夕日はあかし身はかなし    涙はあつく頬ぬらす
 さらば湖底のふるさとよ     幼きゆめのゆり篭よ
と、小河内村の人々が歌ったような哀別の思いが、山林、田畑の埋没や村民の離散に伴ってつきまとうのである。そこで考えられるのは、日本の4つの島をめぐる無限の海水を利用して何とか電力を起こそうということである。海の持つ莫大なエネルギーは、太平洋の岸辺を洗う黒潮を例にとってみても、この潮流が運ぶ水量は1秒間6千5百万トン。その中に含まれる塩分は約2百トンでわが国の2年間分の需要にあたるし、また全世界の食塩の年産額4千万トンに相当する分量をわずか25秒間で流し去っている勘定になる。もとより海洋と電力とを結び付けて考えるのは今に始まったことでなく、早くから欧米でも研究されており、日本でも鳴門海峡や有明海が研究の対象となっていた。
 発電を可能にする海洋の運動には、波濤の上下運動、潮流、潮汐干満の3つにあるが、この中で有望視されているのは潮汐干満の利用である。これは湾口に堰堤を儲け、満潮時に海水を取り入れ、干満のときには閘門から流れ出されてその落差を利用しようというものだが、莫大な建設工費をそれに比べて発電能力が極めて少ない点で実現がはばまれている。かつて話題に上った有明海の場合では12.6キロの大堤を海堰上に築かねばならない。また、潮位差の少ないこと、大潮、小潮時における水面差の不安定による発電能力の不確実さも考えられる。

   新しい考え方―
      潮力発電には潮位差が問題
 そうした難点を克服して、あまり経費もかからず、40万キロワットの発電が可能という新しい潮力発電案が考えられている。場所は愛媛県の西北端、佐田岬にある三机(みつくえ)と呼ぶ地峡で、発案者はいま西宮市に済んでいる尾崎肇さんという老人である。
 大てい日本の潮力発電は干満差が少ないから難しいと考えられるのが普通である。もっとも大きなところで九州三池の4.9メートル。戦前計画が一時進められた朝鮮仁川でも8.1メートルを出ない。これをカナダ東海岸ファンディ湾の13.6メートル、イギリスのニューポート12.1メートルなどに比べると遥かに少ない。しかも有効落差がこの半分といわれるから誰もが首を横に振る。
 ところが、尾崎さんの意見に従うと、潮水の水面差と河水の水力落差とは根本的に違うものがあるのにこれを混同するから潮力発電が不可能視されるのだという。むずかしくいえば、「天体の運行にもとづく定期的地球の回転が起こす潮の偏傾力が、後圧力となって無限大に働くから、水力の導水路の勾配がダムから後圧力を奪っている状態と同日に論ずることはできない」ということになる。つまり、送水管から直接水を落果させる場合、送水管の尾張に1トンの貯水槽を設けて流す場合、さらに10トンの貯水槽を設けて落下させる場合、いずれも同じ高さから落としても現れる力には大きな差がある。
 佐田岬の場合だと太平洋がそのまま無辺大の水槽の役目を果たすのだから、水圧がもろに加わることを考えると、実際のエネルギーは大したものになるわけである。しかも、「広い海域から狭い海域へ、また深い海域から浅い海域へ潮群が来ると、流速は強盛になる」という海洋学の公則が、佐田岬に水路を与えた場合、そのまま当てはまって水路流速は非常に上昇してくる。「―潮力発電は潮位差が問題で流速はあまり問題にならない」と説くのは、大いなる誤謬だそうである。

   理想的な三机地峡
 尾崎さんが佐田岬に着眼して以来、周辺海域の観測だけでも一年八ヵ月日子を費やしたという。
 佐田岬は西宇和郡の西北隅から西西南へ、豊予海峡に突出して長さが五ニキロ、北は伊予灘、南は宇和海に面している。岬の先端は速水の瀬戸と呼ばれる急湍で潮速は一時間八.二カイリ、幅三十キロの海峡を隔てて大分県の佐賀関と相対している。
 岬の南北岸は太古から強い風浪に洗い削られてきたので、海岸線は犬の歯のように錯綜し、ちょうど真中辺にある三机地峡はその幅わずかに六百三十メートルに過ぎず、あたりは荒涼たる物資の窮乏した部落が点在するだけで、地峡の標高九十メートルの分水点に立つと、南北の潮騒がとうとうと足下で鳴っている。満潮時に豊後水道の日振、戸嶋島群の緯線あたりを一時間約四カイリの速さで瀬戸内海へむかって押し寄せる潮は東側と西側とでちがった流れ方をしている。西側の潮群は段々に強まって豊予海峡を水面差〇.九メートル、流速八.二カイリとなって通過し、別府湾、伊予灘、周防灘、広島湾を含む広い海域に出てはじめて潮力が衰える。だがこの時、潮群の主流は惰性で暫らく北方大分県の国東半島へ向かって行き、次第に左右へ散亡する。東側の潮群は三十五度の傾斜をもつ佐田岬に突当り、海岸線に沿って東流し、宇和海北端八幡浜海域で旋回運動をする。ここで再び岬頭へ押し出されたものは西側潮群に合流している。この潮の動きを綿密に観測した尾崎さんは、
1.岬頭に一番はやく来潮があり、これが東へ段々と及んでいって最後に八幡浜海岸に押し寄せる。一方四国の西岸に沿って北上する満潮もここへ流れ込むから、八幡浜海域は一時的に過剰満潮状となり、潮位は豊予水道より 0.6メートル高く、三机南岸でも 0.3メートル高くなる。

2.三机北岸への来潮は南岸より1時間20分遅く、この時間差のために北岸の潮位は豊予海峡より 0.3メートル低い。

3.北岸では、来潮前に、地球の偏傾にもとづいて北方へ退潮する。この潮量 0.2メートル。

4.そこで三机地峡を開削した際には、以上の潮位差に豊予海峡の水面差 0.9メートルを合算した1.76メートルが水路の両端の水面差となり、水路内の流速は毎秒 5.9メートル、時速14.6カイリになる。
と計算される。水深72メートル、幅 1.3キロの鳴門海峡の場合は、水面差が 1.4メートル、流速毎秒5.25メートル、時速10.2カイリで、これは既定数字だが、三机では水路の狭小による流速の増強率、水路の長さから生ずる加速度出力量が考慮されていないから、実際にはもっと大きなものになると思われる。潮の干満現象は1日に2回ずつ起こる。この転換は6時間10分である。ところが海が満極あるいは干極に達した時には、普通では潮が無力となり、風のないかぎり海面上に浮かべた浮標さえも微動だにもしない。海洋学で憩流期という状態が4.50分続く。これは当然発電能力の停止をきたすことになる。ところが三机では、南岸に憩流期が現れるとき、北岸の方は来潮が1時間20分遅いために、まだ憩流期になっていない。従って、水路には依然として潮の流れがある。北岸が憩流期に入るときも同様で、このことは潮力発電の稼動中に、決して断続のないことを意味する。
 普通どこの海峡でも潮は斜角をみせて奔る。鳴門海峡がよく小瀑布状態を呈するといわれるが、正確でなく、大潮時の奔流状態においても潮の先端は斜角をなしている。この間、遅い潮と迅い潮とが混闘し、摩擦を生じているもので、そのため流速ものびない。それが三机の場合だと、堰堤が崩壊した時や水門が急に開放された時のように、潮の前面が水路口で段状の波の形を呈し、水路内の水面は水平であるので摩擦や反射が起こらない。このため流速の加速度が累加されるものと推測される。

    水路を8本つくる

「陸上で潮力を捕捉し処理しよう」というのが尾崎さんの根本の考え方で、これは潮力発電の最大の難関である巨額の費用を要する難工事を避けようとすることから発している。
 海上となると、たとえ浅海作業でも、陸上工事にくらべ5、6割高につくし、荒天ともなれば作業は停頓し、人件費ばかりいたずらにかさんでくる。そこで幅員660メートルの地峡を開鑿(かいさく)するにあたっても、まず地峡の中央部から着工し、漸次(ぜんじ)南北に工事を進めて行けば、陸上作業と同様の低廉な工事費でまかなうことができる。ここに20メートルの堅牢(けんろう)な隔壁をもつ、長さ1000メートルの水路8本をつくる。水路の幅は22メートル。水深は、水路口7メートル、水路尾点5メートル。660メートルの地峡に1000メートルの水路をつくるというのは、抵抗の少ない水路が長ければ長い程、加速度が加わる一方、開鑿の際の土壌で遠浅海岸を埋め立て干拓水田とするからである。
 潮の運動方向が6時間毎に反対となるので、4本を北向水路、4本を南向水路とし、各4本の水路は交互に閘門を開閉する。いいかえると、常に発電稼動しているのは、4本の水路内である。
 各水路内には、それぞれ100メートルの感覚で24葉の翅(はね)をもち、直径16メートルの水車が9機連設される。100メートルの間隔により一つの水車のところで抵抗、摩擦を受けた潮流は、次の水車に達するまでにもとの流速をとりもどし、1000メートルの水路を2分50秒で奔り(はしり)去る。各水車の両側には各2立方メートルの吸水装置が施されており、4水路合計72孔から吸水された潮水は、発電所の上層に設けられた貯水池にたたえられ、これから20メートル乃至24・5メートルの落差をもって再び水車へ落下する。こうして最大限度に潮力が利用され水車を廻転し、水車主軸の両側の各6000キロワット発電機を動かすので、36基の水車は43万2000キロワットを発電する計算となり、たとえロスを見込んでも40万キロワットは十分に確保できる。
 伊予灘は風潮の危険が少ないが、宇和海は太平洋から押し寄せる波のうねりが大きく、かつ過去にしばしば記録された台風禍で、三机南岸はいつも惨憺たる目にあわされている。この経験からして、怒涛に発電機構をなめられぬよう、相当頑丈な防潮堤を築かねばならない。また平常時の潮や大潮時の潮の高低も一定でないから、水路口の防潮堤は固着せず、防潮フローティングという上下に浮遊するものを海面に横たえておくことが必要である。

    四国の全発電量より大きい
 現在、9電力会社の水力発電所は全国で1296箇所、最大出力577万キロワット。火力発電所は133箇所、最大出力282万8400キロワット。他に自家水力、火力発電所併せて最大285万キロワット、これが日本の全発電能力である。しかしこれは最大出力であって、去年のような旱魃にあうと、水力は300万キロワットしか出なかった(昭和26年10月2日)。それだけ火力によって補われねばならず、1日の石炭代が1億円を越えたという。
 関東、東北の有数な電源である猪苗代湖が満水をなって、日枝川本流、安積堰、戸の口堰の3系統12箇所の発電所が全能力を発揮した場合でも、最大出力は15万キロワットである。これをみれば40万キロワットの三机発電所が、わが国の電力事情にプラスすることがいかに甚大であるかが容易に推察されるであろう。さらに、四国全力の発電能力は、水力59ヶ所、20万8千キロワット、火力13ヶ所、8万1千キロワットで、三机1ヶ所の3分の2にしかあたらない。
 これからして三机潮力発電所が完成されれば、四国地方の産業、文化に貢献することがいかに多大であるかも理解し得られよう。

    総工費は180億円
 三机潮力発電を実現するには、どのくらいの建設費が必要か。
(1)地峡開鑿費  40億円
(2)発電所建設費(閘門、社員住宅、倉庫、事務所等) 40億円
(3)6千キロ発電機144基  50億円
(4)1万2千キロ横軸水車72基  40億円
(5)雑工費  3億円
(6)発電地峡買収費  1億円
(7)雑費  6億円
合計 180億円
と見積もられる。この地峡の標高は75メートル乃至90メートルで、工費はあえて難工事でなく、それも在来の方法と違ってアメリカ式の方法で一気呵成に進捗するなら、なお2割方安くあがるという。
 ここに建てられる東西400メートル、南北1000メートルの建物は、巨大に過ぎるように思われるが、電熱処理生産の種々なる副事業の工場にあるため、これでもなお狭いくらいである。何分、岬のうちでも一番峡隘な場所を選ぶため、こうした工場従業員の宿舎を別に建てる地域がないからで、これらを考慮して建物は4階建てとるする。第1層は潮流が奔り水車が回転している発電部、第2層は事務所や倉庫、工場、第3層は社員、従業員の住宅、第4層が貯水池である。また、どんな台風、怒涛にも耐えることができる堅牢な建築物として、過去の台風記録にかんがみ、風速60メートルを目標限度とする。この辺鄙な地帯では、「さらば湖底のふるさとよ」といった嘆きを見ることなく、現在立退き料を与えねばならないのはただ1軒だけである。和歌山県の北山川、小鹿ダムの開発には1万6千戸の立退きが必要で1戸当たり百万年の補償とすると、160億円もの巨費が1キロワットの電力をも得ないうちからふっとんでしまっている。

    意外に多い副次的産物
 只見川電源地帯の開発は総出力144万7千キロワット、経費849億円と予定されている。1キロワット当りの建設費は58,700円となるが、実際にはもっとかかる。普通、水力の場合はキロ当たり8万円から11万円と見るのが常識である。それが三机潮力発電だと4万5千円しかかからず、潮力発電がいたずらに巨額の経費を要し、その割に出力がわずかで経済的に成り立たないとする定説は完全にくつがえされるのである。こうした利点のほかに副次的産物も意外に多い。まず第一に水田200町歩が干拓される。これは改作によって生ずる余剰土砂を持って付近の遠浅地帯を埋めるもので、もともとこの地方は稲作ができず、麦と芋とを常食としており、米は県内の米作地帯あるいは遠く大分、宮崎から移入している実状だから、200町歩の水田が拓かれたとしたら、その利益はすこぶる大きなものがあろう。 
 この水路開鑿によって伊予灘と宇和海の水が交流し、魚族に新しい生態を生じて、漁場によい変化の起こることも考えられるし、製塩、塩素、塩安、アンモニア、曹達灰、水産物くん製など海水を利用して電熱処理を行う諸種の工業も興ってくる。したがって、一般より文化程度が30年遅れているといわれるこのあたり、製図用鉛筆を買うにも船で別府まで行かねばならなかったというこの岬地方に新しい文化の中心が生まれ出ることは疑いない。
 尾崎さんはさらに、この岬地方には三机のほかにも発電所建設に適する地点が4,5箇所あるといわれている。

    2年で完成するというが
       潮汐学の大家、中野猿人博士は
 「―日本では潮汐干満の差を利用する潮力発電はあまり見込みがないが、潮流を利用するなら、水路を長く、水深を深くし、水路口を広くとってできる限りの潮力を利用すればよいでしょう」といわれる。また、経済審議庁の資源委員をしていられる近藤利八氏に、この三机案の実現可能性をたずねるたところ、「−大変いい案です。潮力発電が将来必要となることは明らかですし、その際の技術水準を高めておくためにも、小規模でよいから潮力発電所を作ってみたいと考えているところです。技術的にはなんら問題ないのですからぜひとも実現させたいものです。」と大乗気になって賛成しておられた。ただとりあえず、調査費として建設費の1割18億円が必要で、後は精密測量の設計着工に半年、工事に1年余裕をみても合計2年あれば完成する。だが、この調査費18億円の捻出がなかなかむずかしい。
 もっとも2年で完成できるといっても、資金面から考えて、実際にはそう早く出来上がるまい。れいの鴨緑江発電が大正9年に調査開始して、完成したのが昭和16年、松花江発電が昭和5年調査開始で、完成が昭和17年という例からみても、今すぐ手をつけてもやはり完成は数年後とみねばばるまい。「―旱魃に人工雨の対策も結構です。しかし小さな日本の4つの島には、旱魃と暴風雨とが時を同じくして起こります。今にしてこれを救う対策をたてなければ、国家の前途は危うくなる公算が大きいのです。」
 尾崎さんはこういって、何よりもまず電力問題を解決するのが焦眉の急を要するものだと説く。
脳溢血で病床に着きながら、十数年の間、親族、友人から見放され、気狂いと罵られ、家産を傾けてしまったこの老科学者のためにも、三机発電の構想が1日も早く実現することを祈ってやまないものである。


 備考:尾崎肇氏は本要旨にては不備な箇所もあるらしいとのことにて補足する意味において雑誌「丸」1月号に研究文を発表いたされる由です。
  ○尾崎氏住所  西宮市××・・・  


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